常滑文化を届ける
株式会社
ヤマキイカイ

誇り

常滑文化をお届けする誇り。

昭和のはじめ(1930年代)創業した私たちは、12世紀からの長い歴史をもつ常滑焼を
現代生活の新たな豊かさへ向けてお届けする活動をつづけています。

愛知県常滑市は、伊勢湾に面した知多半島の中ほどにある代表的な窯業都市です。
常滑焼の現代陶芸は1972年、フランスのヴァロリスで開催された国際陶芸展で
名誉最高大賞を受賞し、評価を不動のものとしました。

伝統的なものからクラフト系や造形の斬新さなど幅広い表現を展開するこの陶芸。
暮らしに根差した常滑文化そのものを
広くお届けできることを私たちは誇りとしています。

歴史

わが国の窯業史を築いてきた。

日本六古窯

常滑の窯業は平安時代末期にすでに始まり、
写経を納める宗教容器なども多く産んでいます。
鎌倉時代になると、素朴で力感ある壺や甕などの大物が産まれ、一大陶産地に成長します。
古くは知多半島全域で焼物が生産され、
焼成の燃料となる雑木は刈り尽くされたほどといわれます。
室町時代になり、知多半島全域に広がっていた窯は旧常滑町周辺にあつまってきて
集落に近い丘陵斜面に築かれていくようになります。
現代の常滑焼の原風景です。
信楽焼、備前焼をはじめ、日本古来の陶磁器窯のうち中世から現在まで
生産がつづく代表的な6つの窯が「日本六古窯」と総称されています。
そのひとつに挙げられる常滑焼は6つのなかでも最大の規模として今に継がれています。

近代の建設陶器

明治時代、常滑の主力商品となるのが近代土管でした。
横浜の新埋立地の下水工事に伴う発注を受け、
設計をスコットランド出身の土木技術者に依頼。
常滑の陶工はその意を汲み、独自の木型を作り近代土管を完成させます。
アメリカの近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライトの設計で知られるのが帝国ホテル。
その旧本館の外装タイルを製作したのも常滑の陶工たちでした。
やがて常滑の建設陶器であるタイルは、その後の鉄筋コンクリート建築の普及とともに、
急速に生産量を増やしていきます。

風土

明るい景色の陶産地

陶産地は山奥の里というイメージがあるとしたら、
そのイメージを大きく変えるのが常滑という地です。
まぶしいまでに青い太平洋からの海風。
港をもつ、その地の利を生かした海運により、
青森から種子島まで名を馳せました。
海だけではありません。
空へ向けて大きな鳥が飛び立っているのは、旅客機。
セントレアと呼ばれる国際空港が目と鼻の先に広がっています。
こうした海と空がつくる大スケールの開放感と発展性。
それが常滑焼という陶芸の特質を生んでいます。

発想

自由という土。伸びやかな発想。

室町時代、常滑城の城主・水野堅物(みずのけんもつ)は
交流のあった侘び茶の千利休に常滑焼の小壺を贈ったところ、
その姿を達磨に見立てた利休は不識壺と呼んだといわれます。
「不識」は、禅語です。
達磨大師の逸話。中国の武帝が座禅を組んでいる達磨に
いろいろちょっかいを出すが、達磨は無視する。
いちばん偉い自分を無視するとはなんだ。
と怒った武帝は、いったいおまえは何者だと怒鳴る。
それに対して、達磨が答えたのが、
「不識」
知るかそんなこと、です。

泰然として、ものにとらわれない大きな自由さ。
伝統がありながら、
外国人を含め他の地からのこころざしある人びとを
ひろく受け入れてきた常滑の気質。
こうした、常滑の地の自由の気質は陶芸そのものの、
伸びやかな発想を生んでいると確信します。

ヤマキイカイは
求めつづけます。

常滑焼の「用の美」の世界を

暮らしのなかで機能し、
暮らしのなかで豊かさを生む。
そういう美を送り出してきた常滑焼の
密度ある伝統を敬い、受け継ぐこと。

そして、常滑Tomorrowを

伝統のちからを背景にして、
あらたな発想をつねに心がけ、
今日の、明日の
みずみずしい生活像を描いてゆくこと。

常滑文化をお届けする責務

たったひとつの器が
暮らしの景色を
すっかり変えることもある。
常滑焼の流通に
長く携わってきた私たちには
その実感をお届けする責務があります。

代理店・OEM

日本で作られた誇り高い陶器の企画販売を行っています。
常滑をはじめとした東海エリアでの陶磁器の商品開発をお手伝いします。
オリジナル商品の開発、卸売り販売はお気軽にお問い合わせください。

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