用と美2024
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手で慈しむ、022のびやかな発想から室町時代、常滑城の城主・水野堅物は交流のあった侘び茶の千利休に常滑焼の小壺を贈ったところ、その姿を達磨に見立てた利休は不識壺と呼んだといわれます。「不識」は禅語です。達磨大師の逸話。中国の武帝が座禅を組んでいる達磨にいろいろちょっかいを出すが、達磨は無視する。いちばん偉い自分を無視するとはなんだ。と怒った武帝は、いったいおまえは何者だと怒鳴る。それに対して、達磨が答えたのが、「不識」知るかそんなこと、です。泰然として、ものにとらわれない大きな自由さ。伝統がありながら、外国人を含め他の地からのこころざしある人びとをひろく受け入れてきた常滑の気質。こうした、常滑の地の自由の気質は陶芸そのものの、のびやかな発想を生んでいると確信します。太平洋に突き出した知多半島。その海沿いのまちで、12世紀から窯の火が燃えています。自分たちの土への愛情はもちろんのこと、海運が盛んだったこのまちは広く開放的に多くの知恵を取り入れてきました。それが常滑焼の着想と芯の強さ、そして大いなる遊び心を生んできました。手で慈しむ自由という土、常滑焼。

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