056常滑市TOKONAME日本の六古窯のひとつ、歴史に彩られた焼き物の町。伊勢湾に面した知多半島の西海岸に位置する愛知常滑市は、中部国際空港(セントレア)の玄関口であり、東西6キロ、南北16キロと南北に細長い地形で、全国的に焼き物の町として知られ、平安時代末期から千年の歴史がある「常滑焼」は、日本六古窯の一つに数えられています。「常滑」という地名は、万葉集にも用例があり、学説では「常」は床の義をとり、「滑」は滑(なめらか)の義にとるのが妥当であるとされている。古くから岩盤浴の露出が多く、その性質はなめらかになっており、この岩盤全体も「とこなめ」と呼び習俗を生んだものとされています。1000年の歴史を持つ愛知県常滑焼。古くからある陶器の産地は、どこでもその近くに良質の粘土があります。ただし、粘土だけでは産地になりません。粘土を焼きあげるための燃料が容易に手に入り、それを燃やす窯を造るのに適した地形や地質が必要でした。そうした条件を利用できる技術をもった人たちが移り住み、初めて焼き物造りが始まります。現在の常滑焼のルーツになる焼き物造りが始まったのは、西暦1000年代の初めごろと考えられています。その平安時代末期に始まる常滑焼は、鎌倉時代を通じて知多半島の丘陵地に作った窯場でさかんにやかれていました。半島に位置することから、製品の運搬に船を利用しやすいこともあって、平安末期では、すでに大型の焼き物を大量に生産している産地となりました。江戸中期以降、現在の常滑焼へと発展する礎ともなる職人による製作の時代を迎え、幕末から明治にかけては、朱泥焼などの新たな焼き物を創出しました。丘陵地形で十分な耕地面積に恵まれなかったため、村人たちは農業以外に特殊な産地を発達させ、窯業をはじめ酒造・廻船・鍛冶・木綿などが、村人たちの生業でした。天保年間、鯉江方救により発窯が完成され、その子方寿は、土管の量産に成功。宝珠は常滑陶磁器業界に大きく貢献し、「常滑の陶祖」と呼ばれています。明治以降は、土管・タイル・衛星陶器・植木鉢などは市内の至るところで積まれ、その他、朱泥急須を代表する茶器を始め食器・花器や干支の置物も数多く作られています。AICHI常滑
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